バリへ買い付けに行くのが嫌いな店長に代わって、お客さま兼バリ仕入れ担当代理としてSさんに買い付けてきてもらいました。え?何故バリでの買い付けが嫌いかって?1.バリへはリゾートで行きたい。2.バリで買い付けする時間がない。3.ほとんどジャワで間に合う。4.バリのインドネシア人はすれてて扱いにくい(主観)・・・てな理由。この前3時間ほど滞在(と言っていいのか・・・)したが、2年ぶりのバリはやはりリゾートで来るべきところだな、と夕日を見ながら思いました。

☆バリついでに買い付け日記巻き☆

坂本店長の依頼で1)アタ製品2)ヌガラ産イカット3)扇子4)ろうそくをバリ島にて仕入れました。
以下は滞在中の日記ですが、「買付け日記」と言うよりは「チープ&ディープなサヌール滞在記」となってしまいました。しかし最近、俄かに脚光を浴びつつあるサヌール。ローズクリスのお客様の中にもご興味ある方もいらっしゃるのではないかとの願望も込め、掲載に至りました。どうぞご一読下さいませ。

4月25日(木)−いよいよ出発>
成田よりガルーダ880便にてバリへと向かう。直行便で飛行時間は約7時間。以前と比べると3時間の短縮、嬉しい。隣席となった2人はスラバヤ人。千葉にあるH造船で1年働き、帰国するのだと言う。毎年10人がスラバヤの同社より1年交代で派遣されるとのこと。秋葉原で購入した電化製品が一番の土産だそう。そして手にはキヤノンのカメラ。私も機内で記念撮影に加わる。多少の遅れがあり6時過ぎにヌラライ空港に到着。外は未だ明るい。8時に到着した時よりも空気が薄く感じる。あのむっとするような濃密な空気は暗さも手伝っていたのだな、と思う。サヌールの定宿へ着くとスタッフは皆相変わらずだ。いつもの部屋へ荷物を運び、整理し、マンディし、夕食を取る。カキリマのミークワ。オーダーするとナベに油と大量のニンニクを入れる、その香りだけで胃がきゅるきゅると鳴る。更にキャベツ、にんじん、青唐辛子、卵を炒め、麺と仕上げにスープをじゃーと入れる。美味しい。食が進みナシプティもお願いする。これで3000ルピアだ。ああこの味と満足し、これからのチープで美味しい日々を思い、嬉しくなる。

4月26日(金)−今日は満月−
朝食を済ませ、行きつけのマッサージ店へ行く。昨日のフライトの影響で足が未だだるい。リフレクソロジーとクリームバスをお願いする。痛いがほぐれていくのが嬉しい。ホテルに戻ると満月のウパチャラの準備をしている。スタッフは全員正装だ。Tシャツを脱ぎ、プールサイドに横たわりながらその様子を見る。ところで私はバリでは下着替わりにビキニを着ている。外出から戻った時もTシャツを脱げばすぐビキニでプールサイドに行ける。
この開放感がたまらない。バリのホテルには大抵、1部屋に1つは物干しがある。下着を干すのは憚れるが、ビキニならOKだ。それに乾きも早い。またワンピースタイプだとプールから上がった後、お腹が冷えるがビキニならその心配もない。同じビキニでも、ヒモを首の後ろで結ぶタイプは首や肩がこり、頭痛にもなりかねない。ブラジャータイプがオススメだ。それとバティックも1枚あると良い。日陰は結構冷えるのでお腹にちょっと掛けたり、部屋に戻る時など首で巻きつればワンピース風になる。という訳で失礼ながらビキニ姿でウパチャラ観賞。
夜はお目当ての「ワルンジャカルタ」が閉まっていたのでダナウポソ沿いの「フォーチュンクッキー」でナシゴレンのテイクアウトを試みる。値段はちょっと高いが味が良いと聞いた。出来上がりを待っていると厨房に見た顔がある。むこうも気付く。彼はドイツ人の友人とかつて良く行ったバイパス沿いにあるちゃんとしたチャイニーズレストランのシェフだった。握手を求めに厨房から出て来る。「フォーチュンクッキー」開店と同時にこちらに移ったそうだ。彼のナシゴレンなら美味しいハズだ。かつて彼が働いていたレストランはバイパス沿いで一見立地が良さそうに見えるが、何故かベンケルが同じ敷地に併設されていた。イメージが悪い。しかし味は絶品だった。カニと卵の辛くて酸っぱいスープ。カレー味のロブスター。イカンバカール。そして値段は激安だった。しかし客が来ない・・移ったのも肯けるハナシだ。サラリーも良いのだろう。満月の美しいサヌールのビーチで懐かしのナシゴレンを食べた。絶品に変わりはなかった。
ダナウポソ、サークルKの右隣に店舗があるが、電話1本でデリバリーしてくれる。ピザはどうもね、という方にはおすすめだ。ランチメニューもある。
※<Fortune Cookie> Jl. Danau

4月27日(土)−デンパサールでショッピング−
先週よりヌサ・ドゥアに滞在している友人Aと連れ立ってデンパサールに買い物に行く。ティアラ・デワタの手前にあるシガラジャ料理のワルンでソバックを食べる。ソバックはバビ・グリンに似た豚肉料理。ちょっと違うのは一部を八角のようなスパイスで煮込んであること。美味しいのでバビ好きの方にはオススメだ。
そしてティアラ・デワタ。2Fにあるブックコーナーや文房具売場では手頃なお土産を見つけることができる。地図やバリ風の表紙のノートなど。1Fには日用雑貨、食料品がある。ジュース、シャンプー、洗剤などを買う。
ティアラを後にし、サヌールへ向かう。ダナウ・タンブリンガンをアシタバ辺りより歩いて南下する。ルムットが見えたので休憩。2Fに陣取ると吹き抜けになっており、通る風が心地よい。フローズンバナナ&ストロベリーヨーグルトドリンクをオーダーするがこれが美味しい。因みにバリではイチゴが取れるので、ストロベリームース(ホテルガゼボにある)などもオススメだ。
ホテルで一休みし、夕食はビーチ沿いにあるカフェ・バンブーへ。Aはチャプチャイ、私はナシゴレンをオーダーする。
数年前初めてカフェ・バンブーを訪れた時のことは今でも良く覚えている。ビーチ沿い、砂浜にテーブル&チェアが置いてある。BGMはトランス・テクノだ。当時、東京ではトランス・テクノは六本木や麻布のアンダーグラウンドのクラブでしか聞くことがなかった。それがこのバリのローカルなビーチでは大音響でかかっていた。身体の芯に響くようなその音楽は日本人などよりずっと早く敏感なバリの人々に受容れられたのであろう。そしてそれは月明かりの美しいビーチに良く合っていた。今日もあの日と同じトランスのリズムが心地よく流れていた。

4月28日(日)−ブドゥグルへ−
昨日に続き友人Aと出かける。ブドゥグルへ行きたい、と言うのでフリーガイドのアグンに車を出してもらう。途中、チャンディ・クニン市場に寄る。
田舎道の中、忽然と現れる市場だが、昼間はほぼ観光客向きで道中見ることのなかった観光バスが10台近く駐車している。
商品はプリントバティック、アタ製品等一般的な土産物だ。1軒、お花屋さんがあり、私はここを見るのが一番の楽しみだ。というのもバリの市中に花屋は少ないからである。鉢植え等もあるが、残念ながら日本へ持ち帰ることはできない。
市場を後にし、ブラタン湖へ向かう。バリではここは避暑地ということになっているが、流石に真昼の炎天下は暑い。避暑地といえどもここはバリだ。
駐車し、チャンディ・クニン公園に入る。園内の植物はキレイに手入れされている。暫く歩くと、爬虫類コーナーがある。大きなヘビやコウモリが居て、有料で写真を撮影してくれる仕組みだ、と思う。思うというには訳があり、バリ訪問歴16回を誇るAはバリ人に対し常に強気で、自分のカメラを差し出し、写して、と言っている。バリ人スタッフは一瞬えっ?という表情になるが、「しかたないな」という感じで撮ってくれる。買付けにしてもそうなのだが、バリは「堂々と言った者勝ち」というフシがある。
更に歩くと湖に浮かぶウルン・ダヌ・ブラタン寺院が現れる。守り神はカエルらしく、狛犬のような大きなカエルがお寺の両端に置かれている。湖畔では釣りをする人もいる。そして更に歩くと今度は大きなトカゲがいる。背中を触ってみても無反応だ。暑さのせいか、性質のせいか、定かではない。
湖の向こうの空にパラセイリングを楽しむ姿が見える。バナナボートもあるらしい。
近くのレイク・ヴュー・レストランでバッフェの食事を済ませ、タマン・アユン寺院へ向かう。メルの美しさで知られているが敷地内には観光客は入れない。周囲をぐるりと歩いて周る。
一路スミニャックへ向かい、Aはクッションカバーを買う。私はある店で見たパレンバン製シルクの絞りとジョグジャ製シルクのアラビア文字バティックに心惹かれるが、今日のところはガマンする。もし忘れられなければ、また来て買おうと思う。
Aのリクエストによりジンバランのイカン・バカール街へ向かう。
アグンの友人が経営する1軒に入る。ちょうど夕暮れの空港が美しい。
ビンタンビールを飲み、暫し語らう。空席が結構ある。こういう場合、ドリンクのみのオーダーでもOKだ。ただしもちろん送迎等をお願いする場合はシーフードもオーダーするのがマナーであろう。隣の店は満席だ。アグンは、味の差というよりは広告の差だと言う。ビーチには境界線がある訳でもなく、空いている方の店には結構厳しいシチュエーションだ。
Aをヌサ・ドゥアまで送る。アグンはAに「上品」と言われ上機嫌だ。何故アグンが上品なのかAに尋ねると、1)安全運転2)刺青がない3)下ネタを言わない、というのが理由らしい。そういえばAはそのテのスラングを良く知っている。
かく言う私も車が必要な時はいつもアグンにお願いする。そうか理由は上品だったからか、と今更に気づく自分であった。

4月29日(月)−イカットを買う−
イカットを買う、と言っても私物の話。
朝食を済ませ、ベモに乗りダナウ・タンブリンガンを北上する。
アシタバ前で降り、キモチで2000ルピア払う。ローカルなら1000ルピアといったところであろう。アシタバでアタ製品をチェックする。パターン、値段など。
その後、近くのブラン・ブミ、ベ・ギフトショップを覗き、ウマへ。
ウマはやっとサヌールにもできたバティック専門店。とは言えスミニャックやウブドの専門店に比べれば品数は少ない。
ここでもまたパレンバンの絞り染めシルクを発見する。色は昨日見たスミニャックのものより好みだ。紫がかったローズ色。一先ず保留ということにする。
次はノゴへ。ノゴはイカットの専門店だ。同じイカットでも土産物屋で販売しているものとはクオリティが全く違う。上質だ。スタッフは東京からの業者も沢山買いに来る、と自慢気に話す。
シルクのイカットが美しく、何枚か腰に巻いてもらう。これは自分にではなくスタッフにだ。バティックを買う時も同様だが、私はスタッフが布を巻いた姿をちょっと離れて見る。布は畳んでいるのと広げているのと巻いているのとでは全く印象が違う。またスタッフが巻いている様子を見るのもスキだ。当たり前だが皆上手に巻く。
迷った挙句1枚を選ぶ。今回の滞在で初めて買う布だ。店を出て更に南下する。アラスアラムアグンを通り過ぎ、ルムットへ。先日はカフェだが今日はショップに入る。ここにはセンスの良いバリ雑貨が並ぶ。定価制だが手頃な価格で上質だ。何枚か惹かれるユーズドバティックがある。また巻いてもらい眺める。1枚を選ぶ。これも私物。
もうお昼も過ぎたのでパダンでブンクスしようと、またベモに乗ることにする。1台来たので乗ると、ナンと例のフォーチュンクッキーのシェフ氏が助手席に座っていた。どこに行くのかと聞かれ、申し訳ないけどパダン。デワタ・ミナンだから同じダナウ・ポソだよね、と答える。またお店に行くネ、と言い一足先に降りる。煮たイカン、卵、サユールで8000ルピアといったところ。歩いてホテルに帰る。バルコニーで昨日買ったダイエットコークと共に食べる。美味しい。午後はプールサイドで過ごす。夕方、友人Aが遊びに来る。明日が彼女の帰国日だ。夕食に美味しいナシ・チャンプルが食べたいと言うのでバイパス沿いのワルンに行く。
私はイカン・ペペス、茹で卵(スライスしてくれる)、サテ・アヤム、ガドガドもどきを選ぶ。飲み物はトマト・ジュース。バリのトマト・ジュースは甘い。果物のジュースと同類だ。砂糖と一緒にミキサーにかけて作る。色はスイカジュースに似ているが、更にとろみがあり、それでいてさっぱりしている。バリのフルーツジュースファンにはオススメの一品だ。Aもその味に満足してくれたようだ。ホテルに戻ってから近くのバーに行くのだと、足早に帰るAであった。

4月30日(火)−空に見えるもの−

今日は終日、ホテルのプールサイドで過ごす。
それにしても欧米人、オージーはデッキチェアに寝そべる時、必ず本を携えている。普段から読書家なのか、リゾートの必需品ととらえているのか定かではない。
私も雑記帳やら雑誌やら持ち出すものの、空や花を見ながらうつらうつらしてしまう。
サヌールの空にはいろいろなものが見える。
飛行機、ビーチから飛ばしているラヤンラヤン(凧)、鳥。
もう少し視線を落とすと椰子の木にはリスが見える。
そう、バリにはリスもいる。器用に木から木へと跳ねていく。
このリスは椰子が大好物で、若い実をカリカリ食べては地面に落とす。
食べ残しが大きいと、これが結構危険だ。
バリ人が良く冗談で「クパラ(頭)がクラパ(ココナツ)に落ちる」と言う。
ちょっと考えて「逆でしょ、クラパがクパラに落ちる!」と答えると、嬉しそうに「ピンタール(賢い)!」と笑う。
夜はコウモリが食べる番だ。朝、庭に出て不恰好なココナツが落ちていたら、それはコウモリの食べ残し。
自然に富んだバリの面白い風物詩だ。

5月1日(水)−マデとの再会−

久しぶりにマデに会う。
マデはホテルに通いで来るマッサージ師(女性)だ。
シガラジャの実家とバトゥブランのご主人の実家でウパチャラがあった為、暫く休んでいたのだと言う。
早速、お土産を渡す。
100円ショップで買った折畳み式のヘアブラシ。
バリへのお土産で迷う方も多いと思うが、100円ショップで喜ばれるものを見つけることができる。先ずはコンパクト化された日用品、前述のヘアブラシ、携帯用歯ブラシ、それから携帯電話用の首から下げるストラップも喜ばれた。
そして黒いレンズのサングラス。バリでのサングラスの値段は最低でも20,000ルピアはする。それもレンズの色は黒ではない。黒いレンズが良いらしい。プールサイドのデッキチェアにお互い座り、話し込む。
マデはこのホテルに通い10年になる。以前はサヌールの大型ホテル内で働いていたが、ルールが厳しくて辞めたのだと話す。そのホテルのサロンでは週に一度ミーティングがあり、業務時間中、スタッフ同士で話していた、ゲスト用の椅子に座って休んでいた等重箱の隅をつつくような話をマネージャーからガミガミ言われるのがイヤになったのだそうだ。
このホテルなら、こうして一緒に座ってゲストと話すこともできるし、スタッフ同士も皆和やかに過ごしている。夕方、5時を回るとプールサイドに陣取っていたゲストは部屋に引き上げる。そうするとスタッフの何人かがプールサイドに集まって来る。風はなびき、夕日が美しいこのタイムゾーンこそがここで過ごす最適な時間なのかもしれない。
また近所に家があるスタッフの子供達がプールに入りに来る。外は涼しくなっていても水温は未だ十分温かい。
6時を回るとマデの帰る時間だ。また明日、と言って別れる。

5月2日(木)−レギャンへ出かける−

用事があり、レギャンへ出かける。同じビーチサイドの町でもサヌールとは様子が随分違う。先ずは人だ。絶対数が多い。そして年齢層も若い。ガン・ポピーズ2を歩くとサーファーのオージーが大挙し闊歩している。
ランチを取りにパダンに入る。置いてある種類が少ない。5、6種類といったところ。席もテーブルが3つ。規模が小さいがコレで十分ということか。カレ・アヤム、目玉焼き、サユール、それにテ・ボトルで110,000ルピア。
ちょっと高い。人、店、全てが観光客上位の町だ。

サヌールはローカルと観光客とが絶妙なバランスで共存している町。パダン料理店やワルンの数はレギャン(あるいはクタ)と比べれば圧倒的に多く、店にはローカルも観光客もいる。そしてヒトも車も少ない。そのせいかサヌールは風が良く通る気がする。私はそんな長閑なサヌールが好きだが、ここでは退屈というヒトもいる。ジャカルタ人の友人はダンナさんの仕事の関係でサヌールのホテルに滞在したが、クタのホテルに泊まりたかった、ここはヒマで淋しい所と嘆いていた。

夕食はバイパス沿いのワルン・ジャカルタへ行く。ここもローカルと観光客とで賑わう店だ。エス・ジュルク、アヤム・ゴレン、カンクン・チャ、ナシ・プティをオーダーする。料理を待っている間にナガシがどこからともなく歌いながらやって来た。リクエストをして歌ってもらえばチップを支払うシステムだ。帰りにアラスアラムアグンにて、ジュースとダイエットコークを買う。因みにココで売っているポッカのアイスピーチティー(缶)は甘さ控えめでとても美味しい(同じ棚にあるリプトンのアイスレモンティーは安いがとても甘い)。このピーチティー、近くにあるホテル・ガゼボのマフィンとの相性が抜群。このテの嗜好のある方にはオススメだ。


5月3日(金)−マクドナルドに入る−

今日も引き続き、レギャンへ出かける。ランチを取りにマクドナルドに入ってみた。空港でソフトクリームを食べたことを除けば、バリでマックに入るのは初めてだ。値段は高い。日本のマックと同じ、あるいは為替レートによっては更に高値かもしれない。腑に落ちない気分でレギャン通りを歩き、沢山のイカットが見える土産店に入る。
目立たない場所にユーズドバティックがあった。何枚か見せて貰い2枚買う。安い。レギャン、クタの良い点は競合店が多い為、割と簡単にディスカウントできることだ。
バリで布の購入をお考えの方にオススメなのは、このユーズドバティック。程よく色あせ柔らかく、触るとしっくり手に馴染む。これが新品のプリントバティックに比べ、半額以下のものもある。根気良く品定めすると、20枚に1枚位の割で好みのモティーフのものが見つかる。但し、穴が空いていたりシミのついているものも有るので、1枚布で使う方は良くチェックすること。裁断して使う方は左程心配しなくても良いだろう。マックの件、このバティックでチャラだな、と良い気分になる。

サヌールに戻り、疲れ気味だったのでバイパス沿いの店でサテ・カンビンの夕食を取る。サテ・カンビンに付物のスープはグライだが、私はサユール・アサム(酸味のある野菜スープ)をオーダーする。辛味も効いておりサテ、ナシ・プティとの相性は抜群だ。この組合せに慣れてから、グライではしつこく感じてしまう。
全てキレイに平らげホテルへ帰る。

5月4日(土)−今日はクニンガン−

また朝からレギャンへ。バイパスを走ると、マクロ前を左折する人たちを多く見かける。スランガン島内のサケナン寺院へ向かう人たちだ。クニンガンのウパチャラが夜を徹して行われる。私も今晩、行こうと思う。ランチは昨日のマックに懲り、一昨日と同じパダンに入る。覚えていてくれたのか、女性スタッフが微笑んで迎えてくれる。ほぼ同じメニュー、アヤム、卵、サユールにファンタ・オレンジで9,000ルピア。2,000ルピア安くなっている。嬉しかったので1万ルピアを支払う。

サヌールのホテルに戻ると、スタッフがお供えのお菓子を分けてくれる。蒸しパンと洋ナシ。この蒸しパン、甘さが控えめで美味しい。お腹が満たされ寝てしまう。目が覚めるともう夜だった。身体がだるく、近くのカキリマでナシゴレンを食べる。部屋に戻り、また眠くて寝てしまう。スランガンへは明日行くことにする。


5月5日(日)−スランガン島へ行く−

朝から快晴で暑い。アグンに車を出してもらうことにする。
お寺に行くので彼も正装だ。良い布を巻いている。聞けばアグンの母親が彼の為にヌガラでオーダーしたのだそうだ。何種類かのイカットに金糸を交え、縦にパッチワークのように縫い合せてある。そしてしっくりとくる手触り。私の手と目を見て「譲らないからネ」と釘を刺される。でも同じようなのが欲しければ聞いてみるから、と言ってくれる。
私は今回ローズクリスにも卸したヌガラの手織りイカットを巻く。金糸も混じったこの布はお参りに行くにはぴったりだ。スランガン島へ向かう。バイパスを左折し、砂利道を徐行する。車中はエアコンが効いているが、窓から入る日差しが厳しく暑い。海を挟んだ左手に寺院が見える。
この炎天下の中、参拝をするための長い行列が続く。車を駐車スペースに停め、私達も歩く。寺院まで500メートルはある距離だ。歩いている人たちは皆サロンを巻いている。こんなに沢山の動く布を見るのは初めてですごく嬉しい。ついジロジロ見てしまう。そしてコレほど沢山のバリ人の集まりを見たのも初めてだ。
私をジロジロ見るバリ人もいる。見回してみると外国人はいない。居るものだと思っていた。市中にいるのとは違う意味で異邦人であることを意識する。
寺院、本堂?への行列は相変わらず長い。お参りは諦めて祈る人、待つ人を眺める。
女性はみなカゴに入れたお供え物を上手に頭上に乗せている。確かに慣れれば手で
持つよりずっと楽そうだ。
また露店も道の両端にズラリと出ている。中でも女性子供に人気なのはぬいぐるみのお店だ。体感温度40℃という感覚で、私にしてみればこの暑さの中、ぬいぐるみを触る気さえしないのだが、バリ人はそのような考えはないらしい(いつも暑いのだから当然のことか)。ビニール袋に入ったくまのプーさんが沢山ぶら下がっていたが、
ぬいぐるみながら熱中症になるのではないかと気の毒になった。
1時間程居ただろうか。そろそろ戻ることにする。バイパスに出たのでランチを食べにワルン・ジャカルタに行く。日曜の昼間ということでお店は空いている。私はミークワ・シーフードをオーダーする。メニューにはないが作ってくれる。日本のタンメンのような味。店内のテレビではアメリカのキックボクシングの番組が放映されていた。インドネシア人は格闘技が大好きで、同じ日曜日の夜にはUFCというK1のような番組があり、こちらも人気だ。
ホテルに戻り一息ついてから、いつものマッサージ店に行く。フェイシャルマッサージとクリームバスをしてもらい、ほぐれる。その後、終日ホテルのプールサイドで過ごす。

5月6日(月)−イカン・バカール&インディアン・ティー−

朝食を済ませ、アラスアラムアグンに行く。ミネラルウォーター、ジュース、洗剤を買う。
バリでの洗濯は簡単だ。マンディ時にバスタブの中に洗濯物を置き、洗剤を振掛け足で踏む。後は物干しに掛けるだけ。脱水機がなくてもこの日差しがあれば1日で乾く。ランチは近くのワルンへ。ここはシーフードが名物のせいかナシチャンプル・ビアサ(普通のナシチャンプル)でも照焼風の魚にアヤムゴレン、サテ、他サユールも乗っていて美味しい。これで1万ルピア。ミークワは4500ルピア。こちらはキャベツ、ニンジン、インゲン、卵まで入ってこの値段。ナシプティもオーダーするであろう見込みの値段設定か。因みにナシゴレン、ミーゴレンも1万ルピアだが具はキャベツだけ。という訳でここでオーダーするのはいつもナシチャンプルかミークワ。
午後はプールサイドで過ごす。夕食は友人カデとバイパス沿いのイカン・バカールへ行く。いつも混んでいる一軒。相席なら座れるのでそこに入る。大き目のスナッパーを選び、普通に焼いてもらう。他カンクン・チャ、エス・ジュルック、ナシプティをオーダーする。サンバルが美味しい。このサンバルの味でいつも満席なのだそうだ。値段はジンバランの3分の1といったところ。話が弾み、カフェ・バトゥジンバールに場所を移す。マンゴケーキとアップルパイとで迷い、カデがシェアすれば良いと言うので両方オーダーする。アップルパイにはヴァニラアイスも付けてもらう。飲み物はカデはカプチーノ、私はインディアン・ティー。このインディアン・ティーは所謂、煮出しミルクティーなのだが、これがまたすこぶる美味!スパイスの香りがフレッシュで、ジュンガラのポットにたっぷり4〜5杯分入っている。味も量も(もちろん値段も)東京の専門店など足元にも及ばない。カフェ・バトゥジンバール、並びにチャイファンの方にはオススメの一品。お腹も話もひと段落つき、カデにホテルまで送ってもらう。

5月7日(火)−今日もカフェ−

バリ在住の知人B(日本人)と会う。ランチの時間に合わせ、ラディソンホテルにて待ち合わせ。ベモに乗って向かうがバイパスで降りようとしたところ、わざわざ右折してくれたので、3000ルピア払う。帰国後、やはり在住経験のある友人Cに話したところ、2000で良いんだよ、と言われる。ロビー横のチャイニーズレストランにて飲茶を楽しむ。
話が途切れず、Bが用事で向かうジンバランにも付いて行く。サヌールに戻る途中、カフェに行こう、ということでクタの「ル・ベイク・ショップ」に寄る。ショーケースを眺め、ニューヨークチーズケーキに決める。飲み物はカプチーノ。やはり話が途切れず、明日も会うことにする。

5月8日(水)−スミニャックに出掛ける−

Bとの待合せでスミニャックへ出掛ける。
乗ったブルーバードタクシーのドライバーは東ティモール出身だと話す。独立も果たしたことだし、帰りたい?と尋ねると、いや、帰りたくない。今はバリで職業を得、家庭を持ち、幸せに暮らしている。ここを離れたくない、両親や兄弟はティモールに住み、会いたいけれど仕方ない、ということだ。

Bと会い、食事をしようということでビーチ沿いにあるレストラン、ガドガドに入る。メニューはどれも魅力的で迷ってしまう。結局選んだのはチキン&アヴォカドサラダ、ヨーグルトドレッシングのフォッカチア(トマト&バジル風味)添え。これが本当に美味しかった。熱いチキンに冷たいアヴォカド、ドレッシング。これに温かいフォッカチア。そしてオーダーしたフレッシュジュースもクラッシュした氷と相まって美味。そのフルーツの名前を忘れてしまったのだか、他の店では見たことがなく、色も味もオレンジに似たものだった。日差しがテーブルまで迫って来たので、内側へ移動し、デザートを選ぶ。また迷うのだが、マンゴムースに決める。円筒形のムースに焼いた渦巻状のメレンゲが重ねてあり、薄い蜘蛛の巣状のクッキーとマンゴソースが添えられている。甘さが抑えてあり美味しい。
ムースの冷たさとメレンゲの温かさのコントラストが抜群だ。フォッカチアも同様だが、ここのシェフはこの温度差が好みのようだ。聞けばそのシェフはオージーとのこと。雰囲気も料理も洗練されている。このようなレストランもバリにはあるのだな、とワルンな日々の私は大感激だった。周りはほとんどインドネシア人というBも当然ながら私以上にワルンなヒトで、私のようなヴィジターに会う時に、このテのレストランやカフェに行くそうだ。

スミニャック通りを歩き、マデズ・ワルン2、他雑貨店を見、タクシーに乗りワリサンまで足を伸ばす。このワリサンといい、マデズ・ワルン内のビン・ハウスといい、布類は上質だが、値段も高い。何れのお店でも良いな、と思ったのはクバヤだ。
バリ式のクバヤの透け具合は日本で着るのは難しい。しかし、ビン・ハウスのシャツやワリサンの裾の長いクバヤは着こなし方によっては日本でもサロンと合わせ、フォーマルにも十分通用するものだと思う。

サヌールに戻りウマに行く。パレンバンのシルクバティックがやはり気になる。
値札がついていたが、ディスカウントの交渉をすると、オーナーがチナ系のヒトなのでそれはできない、バリ人だったらできるのにね、とやはりバリ人のスタッフがすまなそうに話す。私達も仕方ないね、という感じで店を後にした。

タクシーに乗り、ホテルまで送ってもらう。
滞在中、もう1回位会えるね、とBと別れる。

5月9日(木)−エリック&ヌサ・ドゥアの思い出−

朝食後、ダナウ・タンブリンガンを散歩する。ルムットで以前より気になっていたロンボク・イカット地の巻スカートを試着し、買う。ここに置いてあるロンボク・イカットは質もモティーフも良い。値段も手頃。ホテルに戻ると聞き覚えのある声がする。エリックだ。ドイツ人のエリックは1年前まで、このホテルに暮らしていた。今はスラバヤ人の奥さんエカと再婚し、ロヴィナに住んでいる。昨晩、ドイツより戻ったのだが、ロヴィナ迄運転するには疲れていたので1泊、ここに宿泊するとのこと。エカの他に娘のアユ、メイド2人も一緒だ。エリックは相変わらず英語を話す。このホテルで初めて会った頃、私はエリックにドイツ語で話し掛けたものだが、彼はもどかしいのか英語で返事をする。それ以来、挨拶以外は英語だ。エカやアユ、メイドにも英語で話し掛ける。こうして自然と覚えていくものだと言う。私の経験からすると、ドイツ語、英語の知識があればインドネシア語の習得は割と簡単だ。しかしエリックは頑なにインドネシア語を覚えようとはしない。お陰で私やホテルのスタッフがエカやアユとインドネシア語で話していても彼には全く理解ができない。父親はドイツ人、母親、娘、メイドはインドネシア人(娘アユはエカと前夫との子)。その中でエリックは英語を公用語にしようとしている。言葉のアイデンティティはないのかな、と私はおせっかいにも心配する。しかしエリックのいない場ではインドネシア語を使っているようでちょっとほっとする。

それでもエリックはエスプリに富んだ面白いオトコだ。
昨年、ヌサ・ドゥアのとあるパブリック・ビーチにエリック、アグン(アグンは元々、エリックの友人)と海水浴に行った時のこと。かなりの肥満体を持つエリックは医者より毎日のウォーキングを義務付けられていた。という訳で砂浜を3人で歩く。少し行くと突如、砂の色が変わり、パラソル付のデッキチェアも海辺であるにも関わらず、枕やシーツまで敷いてある。日焼けした男がサーフボードを持ち全速力で走っている。我々に気付き、英語で「どこから来た?」とコワモテで尋ねられ、アグンがすかさずバリ語で「サヌールから・・・(後は理解不可能)」。サーファーは笑顔となり「気をつけて!」と言う。アグンの話によれば、ここはアマヌサのプライヴェイト・ビーチで彼はそのセキュリティ。今はトレーニング中とのことだ。それを聞いたエリックは「オレは次回、絶対このホテルに滞在する。そしたらぜひ溺れてキミに助けてもらいたい!」と英語で話した。周りにいる誰もが大爆笑だ。それにしてもこの炎天下、誰もいないビーチで全速力でトレーニングしているなんて、流石アマヌサのセキュリティだ。しかしバリ人とその連れならノープロブレム、というところはアマヌサとはいえバリだな、とも思う。これはアグンが(インドネシア語ではなく)バリ語で話したからOKだったのだと思う。似たシチュエイションには良く出会う。ヨソ者が多い土地だけに初対面であってもバリ人というコトだけで内輪という意識がある。反面、この地でヨーロッパ人であるというコトだけで得られる恩恵も多い。日本人である私はこの2人と行動を共にし、それをひしひしと感じたものだ。かく言う私も場によりインドネシア語と英語とを使い分ける。英語の方がコトを上手く運べるシチュエイションがバリにはあるのだ。
久しぶりの再会でこのエピソードを思い出した次第だ。

5月10日(金)−美味しいカフェ−

エリックファミリーと一緒に朝食を取る。メイドも同じテーブルで食べる。彼女たちは恐らく中学を出たばかりの年齢だ。私にまで紅茶をサービスしてくれる。エカが「食べていいわよ」というまではハシ(フォーク)をつけない。そしてそれが慣わしなのであろう。必ず少し残す。アユは彼女たちが大好きで、食事を済ますと手をつないでプールへと急いで行く。エリック、エカとゆっくり話す。エカは美人だ。年齢は30代前半といったところか。浅黒い肌に髪型は肩までのボブ。目と口が大きい。そのテの顔立ちならインドネシア人の典型と思われるであろうが、エカが違うのは鼻筋が細くすっきりと通っていることだ。私もたまに見惚れてしまうことがある。そんなエカなので、エリックは彼女の全てを許してしまう。ノン・スモーカーでコーヒーすら飲まず、緑茶や中国茶を愛飲する彼が、妊婦であるエカがタバコを吸おうとコーラを飲もうと何も言えない。更に臨月のお腹をかかえメイドと共にギャレリアのマタハリで買い物をし、5個も6個も袋を下げて帰って来ても、お腹に気を付けてと言うばかりだ。私がレギャンに出掛けている間にエリックファミリーはチェックアウトし、ロヴィナへ帰ってしまった。
アグンがエリックとの用事を済ませ、ホテルのスタッフと話していたので、お茶でも飲もう、という話になる。折角なのでエリックと良く行ったワヤン・バリにする。ここのカフェメニューはとても美味しい。チーズケーキとカプチーノをオーダーする。因みにここの食事メニューはアグンも私もイマイチ苦手。あまり美味しく感じない。しかしパーキングの誘導等を含めたサービスは素晴らしい。やはりサヌールにあるカフェレストラン、ロータス・ポンド。ここの場合、食事は美味しいがケーキがイマイチ。そしてパーキングのサービスはヒドイ。パーキングに何人かスタッフがいるにも関わらず誘導もせず、出る時も道路のチェックもしない。どこにも得手不得手があるものだな、と思う。そのヘン全てに良く気が周っているのが新鋭ルムット。料理、スウィーツ共に美味しいし、パーキングの誘導も素晴らしい。何かとこの店を引き合いに出すが、レストランも雑貨店もいろんな意味で気が利いている。コダワリの深さが感じられる店だ。しかし私にとってのナンバー1はやはりカフェ・バトゥジンバールのマンゴケーキ&インディアン・ティーかな。

5月11日(土)−バンジャールのバザール−

昨日に引き続きカフェの話を少し・・
バリにもスポーツ・カフェがある。バイパス沿いマクドナルドの南側にあり、
名前は「ARENA」。スタッフはポロシャツに半ズボン、ホイッスルを首から下げ、それらしき雰囲気を演出している。
そしてこのカフェ、今頃の週末は在バリヨーロッパ人で席が埋まる。F1放映が目当てだ。また「バリ・フォーミュラ1・クラブ」とロゴの入っているTシャツを着た中国系インドネシア人のグループも土曜日(予選)からしっかり陣取っている。日曜日の決勝は席をリザーブしなければならない程、盛況だ。
シューマッハ兄弟全盛の今、ドイツ人エリックは、コレが大の楽しみであり、また私もレースがあれば日本でも欠かさずTV観戦をするフリークなので、何度か一緒にこのカフェに通った。優勝者がモントーヤであった時、エリックは悔しがるだろうなと思ったのだが、予想に反し、「南米から来たオコトがヨーロッパ人の中で良く頑張った!」と健闘を称えていた。なかなか良いトコあるじゃん、と思ったのだが、その訳は所属しているチームがBMWであったからのようだ。
ワールドカップが始まれば、ヨーロッパ人に地元インドネシア人も加わり、毎日、大賑わいとなることであろう。
しかし肝心の「カフェ」の味は期待しないで頂きたい。カプチーノをオーダーすると、日本にもある粉末を溶かしたものが出てくる。という訳で、F1観戦が終わるといつもダナウ・タンブリンガンの「漁師」へ食事に出向いた。エリックのお気に入りはまぐろのカルパッチョに寿司。私はざるそばと天ぷらをオーダーすることが多かった。こんな描写をしているとまるでデートのようだが、彼の年齢は60に近く、私たちは親子という雰囲気であった(実際ドイツに住む彼の娘は私と同い年)。さて、今日はこのアレナの近くに住む友人コマンに誘われ、バンジャールのバザールに行った。バンジャールとは町会のようなもの。バザールはバザーだが、日本のようにモノを売る訳ではなく、ナイトパーティーを何日か開催し、そのパーティー券代、ドリンク代などが収入となり、それを町会費に当てる。
会場はその町にあるカフェで、これが素晴らしい。サヌールの中ほどに位置するのだが、カベのない木造で天井が高く風が吹き抜ける。背の高いココナツの木が揺らいでいる。いかにも観光客受けする造りであるが、場所からしてもローカルのためのカフェだ。外食は高くつくので、バリ人はお茶と涼とおしゃべりを求めにカフェに集う。
そしてその晩のメニューはガラガッサムというバリのチキンスープ(ソトアヤムよりもスパイシー)、サテ・アヤムにナシプティ、デザートのフルーツにクルプ。これがどれも本当に美味しい。特にガラガッサムのとろりと溶けたアヤムが何とも言えない。それにビル・ビンタン。デンパサールから呼んだバンドの生演奏もあり、リクエストに応えて歌ってくれる。私たちはココナツの木の下の席に座ったのだが、演奏の合間にさわさわと葉の音が聞こえ、それがまた心地良い。適度に酔いが回り、引き上げることにする。帰り道、月の光は明るく、吹く風は涼しい。歩いているだけでハッピーな気分になる。

5月12日(日)−ウブドのパサール−

坂本店長より追加の注文もあり、私物も含め買い物に出かける。アグンに車を出してもらい、ウブドへ向かう。途中、スカワティに寄る。スカワティは卸問屋街であるが、もちろん小売もOKだ。日曜ということで車の数も多い。駐車する場所を探すのにひと苦労する。
ワゴン車に剥き出しのペインティングを何枚も詰め込んでいる人がいる。土産物用か。また大きなマットを積んでいる人もいる。この敷布団のようなマットを売っている店が結構多い。元来はこのヘンのラインナップが専門だったのかもしれない。他に多いのはTシャツや布類の店。ローカルにも観光客にも需要のあるもの、ということであろう。他に祭事用グッズのお店等もある。客のほとんどがローカルであるが、ジャワ島と台湾(シンガポール?マンダリンを話していた)かららしきトゥーリストを見かける。何れのお店も定価のない交渉制。そこそこ落ちるがローカル並の価格にするにはかなりの粘りが必要。観光客の場合、クタ、レギャン、ウブドの方が安く上がる可能性もあるだろう(サヌールにも土産物屋はあるが、競合する程、数はないのでディスカウントの限界は厳しい。「その値段ならいらない」と店を出ても他の町のように追いかけてくることはない。スタッフもノンビリしたものだ。本当に全てがノンビリしている町。)。更に北上し、ウブドに入る。訪れる度に車も人も確実に増えている。しかしこれだけの人を惹きつけるのは、一歩メインストリートを過ぎれば見える美しい緑の景色、そして手頃な価格の宿(ウブドは涼しいのでAC付である必要はないし、数も多い)の存在であろう。更に小奇麗なブティックが並び、パサールもある。
今回は私もこのパサールで買い物をする。通り(JL.ラヤウブド)に面した店は高いので内側にある店舗を物色する。狙い目は欲しい品物が隣り合っている店。初めに交渉したお店で思うような価格にならない場合は「それなら隣に行くからイイヨ」という態度に出ると、上手く交渉に応じてくれる。ここは正に出れば追いかけるタイプの店ばかりなので、かなり強気に出ても大丈夫。但し、初めに自分が提案した金額より下げるのは難しいので、交渉スタート時に低めの金額を言ってみるのがポイントだ。予定していた買い物のほとんどを済ませ、ランチを取ろうとイブオカに行くが、既に売り切れていた。サヤン経由で帰路につき、途中のワルンでナシチャンプルを食べる。エス・ジュルクが冷たくて美味しい。ホテルに戻り、結構疲れていたので近くにできたマッサージサロンに行く。ソルトのルルールというのがあったので試してみた。粗塩揉みのようなものかな、と想像したが、ペースト状のルルールの素に塩を混ぜていた。ルルールは肌にぺったり付くため、結構冷えてくる。最後にシャワーを浴びるが未だ寒く、頭も痛くなってきた。偏頭痛にならなきゃ良いがと急いでホテルに戻り、熱いお湯を溜めたバスタブに暫し浸り、ベッドに潜る。身体が温まってきて、事なきを得る。
炎天下の交渉で心身ともに疲労したようだ。そのまま眠る。

5月13日(月)−クトゥの帰国−

クトゥがアメリカより帰国した。彼女はワシントンD.C.にある看護学校の学生だ。時差の疲れもあるだろうに、先ず会いたいからと空港から直接ホテルに来てくれた。元気そうで何よりだ。「空港からサヌールへ向かう道でお寺が見え、ガムランの音が聞こえた時は嬉しかった、故郷に戻ったという気がした。」とまるで観光客のようなことを言う。でもバリ人もそういうものが好きなのだなと面白く嬉しい気持ちになる。彼女は現在23歳だが、波乱万丈の日々を過ごしてきた。幼い頃両親が離婚し(インドネシアでは離婚が大変というが、その割には離婚するケースが結構ある。エモーショナルなヒトが多いので当然とも思うが・・)、お互いすぐ再婚、母親の家族と住んだが、再婚相手との子供が出来て、居辛くなり、叔母の家族と生活する。小学校を卒業するとイトコファミリーが住むチャンディダサに移り、中学校に通いながら、レストランで働いていた。ある日、客としてフランス人のカップル2組がそのレストランを訪れ、長期滞在しているうちにクトゥのバックグラウンドを知り、高校を卒業するまでそのカップルが資金援助をするのでレストランで働くのはもう辞めるようにと言われる。クトゥはその厚意を受入れたが、それに甘んじることなく、卒業したら自分でしっかり稼ぎたいと思うようになる。優秀な成績で卒業すると、彼女はドイツ船籍の客船で2年間働く。二度とあそこでは働きたくない、とクトゥは言う。ヨーロッパ船籍の客船で高校出たてのインドネシア人がどんな仕事に就いたのか、想像に難くない。しかし彼女はその代償に夢を現実にできるだけの金額を手にすることができた。フランス人カップルの恩義を忘れず、自分も他人を助ける仕事をしたいと看護婦を目指し、クタにある看護学校に入学する。2年間勉強し、奨学金制度を探し、D.C.の看護学校の入学を果たした。外国人向けの英語学校にも通っている。
今回の帰国では、すぐにもチャンディダサのイトコ宅へ向かいたいのだが、車の手配がつかず、2、3日デンパサールの実母の姉妹宅に滞在するという。彼女はどうもその家が苦手のようだ。クトゥは「自分がバリに戻った時に戻れる自分の家をデンパサールに欲しい、アメリカでアルバイトをすれば買えると思う」と言う。彼女は昔も今もバリのどの家に居ても居候だ。彼女は1人で寛げる自分自身の家が欲しいのだ。これが23歳のセリフかと、私はすっかり胸と目が熱くなってしまった。バリにはひと月滞在し、その間スラバヤでトーフルを受け、またアメリカに戻る予定だそうだ。本当はアメリカではなく日本で働きたいけれど、それは難しいことは分かっている。でももし実現したら東京を案内してね、と言う。アメリカでの生活、9月11日のこと等を暫し話し、デンパサールの叔母宅へ向かった。その苦手な家に行く前にワン・クッション置くために私に会いにきたのかと、やっとその時に気付いた。

5月14日(火)−バリのテレビ−

昨晩、油モノを沢山食べたらお腹を壊してしまった。
それ程ひどい症状ではなさそうだが、落ち着かないのでホテルで終日過ごすことにする。スタッフに話すとイモディウムという薬をくれた。これを1錠飲めば5分で治る、と言われているそうだ。小さな錠剤で半信半疑であったが、これが確かにピタリと止まった。恐るべしイモディウム!という訳でゆっくりプールサイドで日記を書いたり、読書をしたり、と過ごす。
日が暮れると部屋に戻り、ゆっくり暖かいお風呂に浸かる。出ると6時を周ったところであったので、テレビを見る。1チャンネルがバリの放送局だ。6時から15分間、バリ・ヒンドゥーの番組でお坊さんが説法を説いている。6時15分から30分まではバリのニュースをインドネシア語で伝えている。6時30分から7時は同じくバリのニュースを英語で伝えているが、いずれもニュースの他、オダラン等のトピックスもあるので、ヴィジュアルを見ているだけでも楽しめる。
曜日は変わるが金曜日の7時から、このチャンネルで面白いクイズ番組を放映している。グループ2組が解答者で、初めにバリ語の文章があり、それを先ずインドネシア語にするのだが、クロスワードパズルのように空欄があり、アルファベットが少しずつ表示されていく。インドネシア語の解答が出ると次はそれを英語に変換する。観光地バリにぴったりのクイズ番組で良くできているな、と感心する。



5月15日(水)−ベベッを食べる−

朝食後、行きつけのマッサージサロンに出かけるが、スタッフの姿が見えない。
いつも彼らが座っているベンチにはバティックにビーズの刺繍を施している途中のモノが置いてあった。ということはHはいないのだな、と思い一度ホテルに戻る。Hはこのサロン唯一の男性スタッフで指の力が強いこともあり、クリームバスをしたい時はHがいる時を狙って訪れる。昼食を済ませ、今度こそと行ってみると、ナンとそのHがバティックに刺繍をしていた。確かにHにはソレっぽい仕草があり、足やフェイシャルのマッサージをしてもらうと、強さとは別に指の動きの滑らかさは女性以上の腕前だ。午前中の顛末を話すとHは笑って、友人のダンスの衣装を頼まれたのだと話す。どこで覚えたのかと尋ねると、自己流と言う。スゴク上手い。手先が器用なヒトは何をやらせても器用なのだなと感心する。何人か共通の友人が明日、出発ということで食事に誘ってくれる。何が食べたい?
と聞かれ、ベベッ!と答えると、じゃロータス・ポンドということになった。ベベッ(アヒル)はどこのお店でも事前の予約が必要であるが、ロータス・ポンド(おそらく他のロータス・グループも)は予約なしでも蒸し焼きベベッが食べられる。店名の通り、立派な蓮が池に浮かぶ、というよりは立ちはだかっている。ベベッはちゃんと現地風にスパイスが効いていて美味しかった。
観光客向けのお店なので、つい懐具合を考えてしまうが、皆気にするな、とご馳走してくれる。
ダナウ・タンブリンガンを車で走り、今回の滞在では何往復したかな、と考える。
マッサージが効いているのか満腹にもなり、すごく眠い。
マンディをして、ベッドに入る。

5月16日(木)−ついに帰国−

部屋には荷物が溢れている。私物は後回しでローズクリス向け商品のパッキングを考える。やはりダンボールに入れるのがベストの選択、と買いに行く。バリではダンボールは日本のようにランダムに捨てられているものではない。雑貨屋でティッシュペーパーが入っていた箱を2000ルピアで分けてもらう。ちょうど良い大きさ。全てピタリと収まる。自分のパッキングも大まか済み、ホテルのスタッフがバビグリン屋に誘ってくれる。先日、イブオカで食べ損ねたし、これは最後の日に相応しいとスクーターの後ろに乗せてもらいバイパス沿いのお店に行く。ブンクスするつもりであったが暑かったのでエス・ジュルクが飲みたくなり、そのままお店で食べる。
ホテルに戻り、プールサイドで寛いでいると1人の背が低く太めの女性と何人かの長身の男性がやってきた。ホテルのスタッフがカリマンタン人だと教えてくれる。女性は確かにそのイメージであるが、男性たちは色も白く、とてもそのようには見えない。
その女性の夫がイタリア人でありバリで手広く事業をしており、このホテルに興味を持っているのだそうだ。
ホテルのマネージャーがやって来て、いつもはカードで支払をする私に、今回はキャッシュにしてもらえないかと言う。万一、経営者が早々と変われば、カード支払の代金は全てそちらへ行ってしまうことを危惧しているのであろう。
ちょうど最後にマンゴケーキを食べたかったので、カフェ・バトゥジンバールでブンクスするついでにATMに寄ることにする。チェックアウトまで時間があったが流石に50,000ルピア札、○ジュタ分は持っていたくないので精算を済ます。その後ケーキと一緒にとコピを頼むがそれはホテルのオゴリにしてくれた。
いよいよ出発の時間。オーナーが変われば、スタッフの総入替という可能性もあるだろうし、今のディスカウントも厳しいであろう。ここに宿泊するのもこれが最後かもしれない。「また会いましょう、本当に」と言い、ホテルを後にする。空港まで送ってくれたアグンに謝礼を渡そうとするが、今日は友人としてだからイイヨ、と遮られてしまう。未だ時間があったので、今回アグンと共にしたツアーについて話す。ブドゥグルでAがタダでコウモリと写真を撮ったこと、スランガン島のクニンガン、エリックとの再会等々。タイムアップとなり、今回も楽しいかった、
すぐまた来るから、と言い、空港に入る。空港内の免税店で化粧品を買う。欧米のものであれば、成田の免税店よりキモチ安い。ジャカルタ経由であれば、定価のものは値段が変わらないが、ディスカウントセールを頻繁に行っている。またグアム経由であればもちろん、アメリカのものは格安だ。
これで最後の買物が済む。私の買付け日記もこれで最後。最初に申し上げたように買付け日記と言うよりはサヌール滞在記と言った趣になってしまったが、ローズクリスで販売されている商品のバックグラウンドが少しでもお伝えできたのなら嬉しい限りである。

おわり

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